column 建築エッセイ

隣の家に配慮すると、あなたの建築の価値が上がる

1メートル以上もある長いスプーンの場合、自分だけが食べようとすると自分の口にスプーンの先を持ってくることはできません。しかし、どんなに長いスプーンでも向き合う相手に互いに与え合えば感謝の意と共にスプーンの先を口にを運ぶことができる。という天国と地獄の長いスプーンの話。「与えよ、さらば与えられん」はイエスの教え。人のために少しは残す、何事も腹八分の精神。これらはすべて「自分の欲を抑え、相手を想うところに人生のコツがあるよ」ということを、世の成功者、人格者たちが伝えたものです。

これは建築的にも正しいことです。

いくら法律で許されているからと言って、隣の家のリビングの目の前にこちらの家の大きな壁やトイレを作ったりするのは良心が咎められるはずです。気がついていても、気が付いてなくても、傷つくのは実は自分自身なのです。

それに平面計画には無限の答とパターンがあるので、わざわざ隣の人が嫌がりそうなことをやる必要はありません。


(写真11.配慮された街並み)*ネットで見つけた写真です

隣の家に配慮された街はきれいです。ゆとりもあって豊かな環境です。

我が家を隣の家から離せば離すほど、周囲の環境は良くなっていきます。街並みがきれいになれば、みんなの憧れの場所となり、地下の価値も自然と上がります。

理想的すぎるくらいの街並みが本当はちょうど良いのです。

隣や街への配慮とは、家同士の距離感だけの話ではありません。街を通りすぎる人たちにも配慮すればするほど、あなたの家の価値は上がります。本当は壁にペンキを塗れば人が住むには充分です。けれども、外壁にはちょっとおしゃれにアースカラーのタイルを貼ってみる。それから春には春を楽しみたいので、窓辺にはフラワーボックスを並べる。花が咲き、花の匂いが通りに広がる。写真を撮る人もいる。

ほら、街並みがどんどん素敵に良くなっていくのがわかるはずです。

景観を考えるとき、「派手なものは景観上避けるべきだ」という方もいらっしゃいますが、奇抜な色やデザインが絶対にダメというわけではありません。奇抜な赤がその場所にふさわしい時もあるでしょうし、他の建築物や景観に溶け込んだ調和の芸術もあります。芸術の考え方は両方あるのです。溶け込んでいようがなかろうが、それが芸術か?単なる奇抜なだけか?

フランスでは文化庁がそのようなジャッジをするのだと聞いたことがあります。「景観を壊すものは建てさせない!」と。

日本ではこれを色の番号や、敷地境界線からの数値化、高さ制限を計算から求めるなどして公平性を担保しようと法律や条例であらかじめ一律に定められています。しかし、建築は場所毎の特性も違うので、環境に関しては柔軟な運用と判断ができれば本当はもっと良いと思います。ただ柔軟な判断を誰にでもわかるように説明することは難しく、専門家の判断だといってもトラブルの元になることも多いので、数値化は今のところ仕方がないと諦めています。

                       写真12道路斜線に立つ建築の写真*写真を買う?

建築の外観は、街への配慮であり街への敬意でもあります。特にこだわりたいものです。

「家を建てよう」と決めてから、急に雑誌やGoogleの画像検索でこれがいい、あれがいいと探し出すのかも知れませんが、寄せ集めの情報では前述の平面計画と同じようにうまくいかないのです。

福笑いのゲームでもわかるように、形の良いスッキリした鼻、綺麗な目、魅力的な唇など、どんなに素晴らしいパーツを集めたとしても偶然の配置では、憧れのアイドルのような顔をつくることはできません。

情報は集めれば集めるほど高度な知識が必要でしたよね。

その情報収集、整理の努力を自分の好み似合った建築家探しに集中した方が良いと思います。

注文は好きなだけ、無理難題言っても全然大丈夫です。思いの丈を伝えたら、提案を待ちましょう。きっと思いもつかなかった外観があなたを驚かせるはずです。しかし、提案されたデザインが万一好みでなかった場合もがっかりしたり、この人はダメだとは決めつけないでください。その案はキッパリ断わったら良いのです。そしてどこが嫌いかを伝えてください。徹底的に話し合うのです。建築家は、また次の提案を出してくれます。好みがわかるまでには時間がかかることもあります。 それでも何度も好みに合わない提案が出てくるようであれば、残念ですが、相性が合っていません。その建築家の実力不足かもしれません。キッパリと次の建築家を探す事にしましょう。その辺りの約束事は最初に建築家と取り決めしておいて下さい。