column 建築エッセイ

西洋の文化は広場、日本の文化は通り[rr3]

人と人の交流の場は日本と西洋では違うといわれています。

西洋は「広場の文化」。街の中には、個々の家々とは別の場所に大きな広場が設けられ、市場や集会、宗教儀式、地域のコミュニケーションの場として活躍してきました。コミュニティを維持するために、広場は欠かせないものだったのです。

西洋人はわざわざ集まることが大好きです。パーティなども日常的にもしょっちゅうやっているように見えます。

 一方、我が国ではその役割は「通り」が担ってきました。祭りや門前市場など日本の文化の中心にはいつも通りがありました。

札の辻(ふだのつじ)」という地名がありますが、江戸時代、為政者(いせいしゃ)からの通達は通りと通りが重なる「辻」に高札をかかげて行われていました。

そして多くの町人が住んでいた長屋は、各家が路地で各家が緩やかに結ばれていて、路地には井戸やゴミ捨て場、雪隠(トイレ)などが面し、生活の場の一部となっていたのです。

「井戸端会議」と言うように、人々は日々の情報を長屋の「路地」の中にある井戸端で仕入れていました。日本は「通りの文化」なのです。

第1章「建築は“平面図“が命」を少し思い出してください。

「2011年の東日本大震災後に建てられた岩手県釜石市のコミュニティケア型仮設住宅」は、この日本型の通りの文化を取れ入れられて,2012年のグッドデザイン賞を受賞しています。

広場と道、リビングと廊下、街のつくり方や家のプランニング。それをどうつくるかは文化、コミュニケーションのあり方を方向つけることにもなります。さらに言うと、コミュニケーションのあり方は家族の在り方、個人の人生に影響を与えることは前述のとおりです。

リビングアクセスについての暮らし方の違いは2つ例をあげて前述しましたが、ここではもう一つ機能的に違う2つの家のプランを見ていきましょう。

1つは各部屋とリビングがお互いに気配がわかるような吹き抜けや、段差のある開放的なプランの構成、暖炉の前には大きな窪みがあり早い者勝ちでねころべるが、やけに大きい階段の踊り場は父の書斎と化している。無駄も多いが、そのうち変化する楽しさに重きを置いた家。

2つめは通路、各室は機能性を追求するために計算制御された完全な空間。コミュニケーションもI Tを駆使し、声をかければ洗濯が始まり、要件を誰かに伝えることもできる。夜になれば自然に照明は間接照明に変わりムーディーな音楽がバックを飾る。もう生活のために、余計なことは何もすることはない。好きな時間に自分の好きなことをやれば良いのだ。

もし、この先毎日365日、2つの家それぞれに住み続けたとした場合。たとえ同じ家族が暮らしたとしてもその後、20年、30年先の家族の形が違うことは容易に想像できると思います。どちらが良いかは好みの問題ですが、住宅のプランを思いつきや好みだけで計画してしまうのはやはり良くないのです。

ついでにもう少し建築に関する文化の話です。

日本は障子の文化です。料亭はかつて、誰もが通る廊下と飲んだり食べたりする個室を区切っていたのは、薄い紙でできた障子や襖1枚でした。にもかかわらず、個室では政界の話から、会社の話、恋人の話などなど・・・・・が平気でされていました。

さらに言えば、その個室の中にはお酌する人など部外者もおりますが、繰り広げられる話は聞こえていても聞いてはいないのです。時には頷きながらも聞いてはいないのです。ですからその話が外部に漏れることは決してありません。それが、日本の老舗の料亭。壁があってもなくても同じ内緒の空間をつくれるのです。

コンクリートの壁より思いやりと信用。日本文化というものはそういうものだと思います。

それから情報が外に出なかったもう一つの理由は、昔の偉い方が料亭で話していたこと、行っていたことは私心ではなく、度を越したものでもなく、そして筋が通っていたからこそ、そばで聞いていた人たちもどこかで納得できていて秘密が守れた。そんなこともあるのかもしれません。

そうした「やりすぎない姿勢、潔白さ」も日本文化と言えるのではないかと思います。大切にしたい文化です。 最近のネット社会ではそうもいきませんが、障子で守れる文化と技術で守るセキュリティー、今後は共存できたら良いなと願っています。