column 建築エッセイ

時間が経てば経つほど価値が上がる建築Ⅱ

昨日出会った知り合いよりも30年来の友達の方がはるかに信頼できます。
時間が経てば立つほどよくなるものは他にもたくさんあります。

以前90歳を過ぎた祖母から「恩は着るもの、着せるものではありません」と嗜められたことがあります。同じことを若い青年に言われても、腹が立つだけなのだと思います。
どんなことでも「新しければ良い」「若いから良い」「このやり方が一番」などと、1つだけの考え方や方法だけで話を進めるのは、やりすぎなのです。
経験や、「時を超えてきた」と言う歴史観に対する価値は奥深く、その見えない信頼感は万物共有の財産です。大切にしなければならないものです。

少し前、時々通っていた老舗の料亭が新装されました。100年以上続いた老舗の趣は綺麗さっぱりとなくなり、今風のおしゃれな建物になってしまいました。床も壁もピカピカで機能的ですが、私が好きだった昔の風流で粋なあの面影は、今はもうありませんでした。
・・・・・・・と思っていた矢先、
「綺麗になって良かった!古かったもんな。ギシギシいって」
と、一緒に行った友人のその言葉に、私はひっくり返りそうになりました。
「えっ、やっぱりそれが普通の人の考え方なのか?」 
そうか、店主もきっとそう思ったのだろうな、と。
当然私にはその日、以前食べたその味、その気分を味わうことはできませんでした。そこに息づく歴史や、古さが醸し出す趣が否定されたことに、心から落胆したことを覚えています。100年かかったのに、と。
「昔、ここに伊藤博文も来たのかな」
「明治の女将はこの狭い通路の先頭に立ち、要人たちを導いていたのだろう」
そんなふうに、代々続いた老舗の物語を勝手に私が思い描くことは今となってはもう出来ない。

「なぜ、新築を担当した建築家は、古家の趣を残そうとオーナーに全力で説得しなかったのだろうか?」
「いや、したんだろうな、一生懸命」
いろんな事情もあるのです。

説得して納得してもらえる状況ができるのか?
それが、それが、とても難しいのです。

「美味しい」という世界観は、料理の味だけでの勝負ではありません。腕利きのコックがつくった美味しいフランス料理はフランスのクラシックな趣のある空間でフランスの音楽を聴きながらゆっくりと食べると「食事の時間」が「至高の時間」になるのです。そこに「時の力」が加われば最高なのです。

少し、話が脱線しますが・・・・・。
私は10年頃前、「葉山シャツ本店」というブランドの立ち上げに関わったことがあります。「日本人のために凛とした粋な白いシャツをつくりたい」というコンセプトの真新しいブランドでした。デザイン、カッコ良いものをつくるという話になると建築に限らず、家具、照明、器、洋服と何にでも興味と闘志が湧いてきてしまうのです。

(写真6.葉山シャツ本店)

2012年、凛とした粋なジャパニーズジェントルマンをつくるため、業界のワイシャツ大好き人間たちが優秀なデザイナーを集い、世界中から最高の素材を集め、最後は数少ない日本の匠が仕立て上げるという贅沢なワイシャツが完成しました。
ところが、何せ新米のアパレルの会社のブランドでは重厚感がない。高価格帯の商品の販売をするには説得力がなさすぎなことは誰もが理解していました。
ちょうどその矢先、葉山にある文豪も愛した老舗蕎麦屋「一色庵」が引退閉店されたとの話を聞きました。これは歴史の力をお借りするチャンスだとすぐさま葉山のその店に直行したものです。
その後、店主の浅野さんの快いご協力もあり、昭和初期そのままの建築の面影を残した建物に、真っ白いシャツを並べて「葉山シャツ本店」をスタートさせることができたのです。
老舗感満載となった葉山シャツ本店は、発足1年目から各デパートのイベントで高級シャツブランドとして紹介されるようになりました。また地元でも「葉山シャツは背広より高いが気分が良い」と慕われる存在となっていきました。
それもこれも建築の力老舗の趣があってのスタートだったからだと思っています。

新しいことや若いだけが素晴らしいことではない。
偏った考えは捨てるべきです。本当に良いものをつくり、永きに渡る建築をつくるという「新しい建築の常識」が必要です。「つくったものは壊さない」そしてその次の継承時には「もっと高付加価値をつけて譲る」という考えです。
これは価値あるものをつくるという覚悟です。
少なくとも200年は壊さないぞ,と。
 
「今、私たちの周りを見て200年残したい建築はいくつありますか?」