column 建築エッセイ

小さいことばかりを気にしているといい家はできない

以前、住宅の設計の時にオーナーから言われたことがあります。

「段差があると、お掃除ロボットが使えないので家の中には段差をつくらないでほしい」と。

バリヤフリーに特段のこだわりはないが、段差があると面倒で、掃除も不便だという意見です。

少し前にひろゆきさんという方がYouTubeで話していたことが面白かったので紹介します。

それは、ざっとこんな話でした。

ここに少し大きな壺があるとします。その壺にゴツゴツとした大きめの石を詰めるだけ詰めます。「もう入りません」というくらいまで詰めます。

もう壺には石は入りませんか?

いえ、最初に入れた石よりもっと小さな石なら、ゴツゴツした大きめの石の隙間に入っていきますよね。それでもすぐに石は壺の淵いっぱいになってしまいます。

もう入りませんか?

いや、さらに小さな粒の砂なら、その隙間を狙ってまだまだ入っていけます。

つまり「形を変えて工夫すれば方法はたくさんある」という話なのですが、本当に大切なのはここからです。

では、もしも最初から壺を粒の小さな砂でいっぱいにしてしまったら、どうでしょうか?

小石もゴツゴツとした大きめの石も、一つたりとて入れることはできませんよね。

小さいことを大切にすることは大切なことですが、「順番を間違えると大きなものが入らないということを教えてくれている話」なのです。

建築と同じです。

建築をつくるときに大切なのは、大きなゴールをまずは決めること。次に、そのゴールを意識した上で譲れないことと、捨てても良いことを決断する。そして最後に細かなことを調整していく。そういった順番が大事ではないかと思うのです。

「リビングはこんな感じで窓は2面に大きくつくってください」「台所はこの配置が使いやすそうなので、これを参考にしてください」「玄関入ったところはこんな吹き抜けにしたい」などなど・・・・最初から雑誌の切り抜きを並べて要望されるオーナーが多いのは画像検索やネットの情報が簡単に手に入ることが原因だと思うのです。

建築家の設計過程では多くの場合、それらの切り抜きのデザインの応用は最終段階での作業になります。その細部の条件を最初に固定してしまうと平面計画の大きな魅力を制限してしまうことになってしまうのです。その写真のイメージがその建築にとって良いことなのか、できることなのかは平面計画の後に検討した方が良いのです。

ヘアーカタログを見てキムタクのようにして欲しいと思っても人の個性はいろいろです。往年の銀幕の2枚目スター鶴田浩二がキムタクのヘアースタイルをしても似合うわけはないのです。

私たちは設計を進める際その示された細部のその場所での建築的な価値を考えます。なんとかそれに合わせることもできますが、やはりそれは好みの問題としての最終調整なのです。

誤解されそうですが、建築家に設計を依頼する際に、写真の切り抜きを集めて要望してはダメだということではありません。いいのです。どんどんもってきてほしいのです。オーナーの好みがわかるからです。そして私たちはそれをじっくり読み解くのです。デザインの形を見ているのではなくオーナーの好みの感覚を感じ取っています。(好みの感覚を理解するまでには多くの時間がかかることがあります。)

そしてその写真のイメージを超えた別の感動の空間の提案を期待して待って頂きたいと思います。

ちなみに、

私が中国の経営者やお役人さんからよく言われた殺し文句をご紹介しておきましょう。

「ここであなたの作品を作ってください」

こんなことを言われたら火がつくどころか、「ただでもいいや!」という気にもなってしまいそうです。中国人の商売のうまさの一端かもしれません。

ついでに、

私たちが提案した渾身の案が全否定されることもあります。

当然相当凹みます。

「良いものがわかってないだけだ」と強がる余裕なんて全くありません。

それでも頑張って、次の提案で、それでもなければ全く別のプロジェクトで「いいねー。すごくいいねー。」などと言ってもらえると、それが私たちに、とてつもないエネルギーとなるのです。また走り出すことができるのです。

かなり傷つきやすいのです。建築家という人種は。取扱注意ですが気にしないでください。 もう十分慣れているのです。