column 建築エッセイ

バリヤフリーにはこだわらない。

「バリヤフリーにしなければ」って、よく言われますよね。
特に住宅などの設計の際には、まずはともあれバリヤフリーなのです。
「安全が第一です。老後いずれ改修が必要になります。せっかくなのでここはバリヤフリーで」と。説得力ある言葉で説明することができます。
一方、段差がある住宅のプランは適度な区切りと目線が変わっていく変化が楽しいものですが、設計者としてはいざオーナーに対するとなかなか提案しにくいものです。
説明の理由が「楽しい」の“一言”意外あまり適当な言葉が見つからないからです。

しかし雑誌などで紹介されるように、実際建築家たちが自邸でよくやるのは段差をつけたりスキップフロアーだったりと「楽しそうな住宅」ばかりです。建築家もいずれは皆高齢者となるのですが、自らが選んだ住宅のプランは「段差のある家」なのです。

「建築家の家は自分の家だから一生懸命設計して素敵にするんだ」と言う人がいます。
いえいえ、私たちがオーナーに対していろんな提案をしても「?それはちょっと・・・」とか、「私はあのカタログのここが良い」などと言われると、やはりお客さまですので私たちもお客様の意見を尊重したいと思うのです。それにあまり強く提案すると、「自分の作品の実験にしているのでは?」と疑われそうな恐れもあります。
しかし、それでも私は自分が良いと思ったことは2度、3度だけは勧めることにしています。例え面倒だと思われても、専門家の使命だと思うからです。

ところで、1章「建築は『平面図が命』で出てきた高齢者のための家「道と暮らす家」、バリヤありあり住宅は2010年の熊本県の最優秀建築物に贈られるアートポリス推進賞を受賞しました。
老後の暮らし方に対する答えが評価されたとのことでしたが、実はその頃から専門家の間でも高齢者のための住宅の在り方は「バリヤフリー一辺倒」ではありませんでした。

そもそも高齢者住宅と身障者用住宅とは違います。これからは生涯現役の時代。いつまでも生き生きと暮らす住宅を目指すべきなのです。もしも最後に体が動かなくなった時は、段差だけの問題ではないはずです。
「施設か病院で暮らすか?」
「家族。兄弟が全力で守るか?」
そのどちらかなのです。

今から最後の「もしも」の一瞬に備えて一生を送るよりは、今を楽しめる時に一生懸命人生を楽しんだ方が良いと思うのですが、皆さんはどう思われますか?

とはいえ、私ごとですが、先の熊本の「道と暮らす家」の平面図を初めて見せたときの母親は、
「うぁ〜、段差だらけの家、大変そう・・・・・」
とぼやいていました。
しかし暮らし始めると言うことが一変。
「この家は面白かぁ!」
と、楽しそうでした。

段差だらけとは言っても、1階からいきなり2階に上がるような長い階段は作ってはいません。1段や2段の階段を登ったり降りたりすれば、どこからでもどこへでもでいける構造になっています。

高齢になり足腰が弱り始めると、リハビリの施設に行く方も増えます。毎日1段や2段の階段を登ったり、降りたりしていれば、運動機能を維持することができます。しかし、バリヤフリーの家では1段や2段の段差さえありません。
これってビールを飲みながらジムに通い、ダイエットに励むことに似ていませんか?

高齢者の転倒原因の多くは、「ほんの数ミリの段差につまづくこと」だそうです。段差の認知能力の衰えが、原因のひとつと考えられています。たしかに、高齢者の転倒は骨折に直結し、寝たきりへの引き金になる可能性があり危険です。ただ、「この先、一生外出をしない」と言う方は、おそらくいないはずです。
であれば、比較的安全な家の中で日常的に段差の認知機能を訓練すべきです。屋外における段差や道の複雑さは、家の中の比ではありません。
バリヤフリーなど段差のない暮らしによって段差に弱い人間をつくってしまうことがかえって、危険を招く可能性があるのです。実際、「普段から段差のある場所を歩いていた方の方が転倒事故が少ない」という研究者の報告*があります。

段差の多い「バリヤありあり住宅」に暮らし始めて20年以上経った母は、今ではもう80歳を超えましたが至って元気です。先日実家に帰った時は一緒に買い物に行きましたが、手すりを使うこともなく、デパートの階段をスタスタと登っていく様子は昔のままの姿でびっくりした程です。

*「ウソだろ!?バリヤフリー」
神奈川大学教授  小山和信 
九州大学大学院准教授   村木里志