column 建築エッセイ

オペラハウスで一変したシドニーの土地の価値

オーストラリアのシドニーと言えば、シドニー・オペラハウスです。港の先端に華麗な船出をイメージさせる幾つもの帆を掲げたフォルム、貝殻のようにも見える白い大きな屋根が特徴的な建築物は、2007年にモダニズム建築としては初めてユネスコ世界文化遺産に登録されました。

もしも、シドニーにあのオペラハウスがなかったら…? と想像してみてください。

シドニーの魅力、インパクトが半減してしまいそうですよね。いまやシドニーのシンボル的存在となっているオペラハウスです。名建築です。

しかし、その建設当時には相当な苦労があったようです。

シドニーのオペラハウスは、デンマークの建築家、ヨーン・ウツソンによって設計されました。1957年に行われた国際コンペには、27カ国217件のエントリーがあり、実は1次審査の時、当初ヨーン・ウツソン案は落選候補だったのです。しかし当日遅れて来た審査員、アメリカの建築家エーロ・サーリネンがその落選候補案を拾い上げ、その後そのヨーン・ウツソン案はなんと最終的にコンペを勝ち抜き優勝してしまいました。

ところが、いざプロジェクトが始まると複雑な屋根の設計に想定以上の時間がかかったり、建築費が増大したり、その他諸々と問題が発生し、オープンまでには約16年もかかってしまいました。

建築費用はどんどん膨み、当初予算の少なくても14倍、英国財務省の資料によると35倍にまで膨らんでしまったそうです。そして議会からも猛反対を受けるなどさまざまなことがあり、設計者ヨーン・ウツソンは建設途中でその職を辞任してしまいました。

それでも後を受け継いだ者たちの努力の結果、1973年10月、ついにオペラハウスは完成しました。

なぜ、完成することができたか?それは

「どうしてもつくりたい」と思った人たちがいたからです。

「この独創的なデザインを実現したい」

「この建物には価値が必ずある」

そう信じた何人かの熱い想いがあったから、完成できたのだと思います。 

莫大なお金と時間もかかりましたが、オペラハウスという美しい建築ができたからこそ、シドニーは世界中から観光客が押し寄せる一大観光地になった。と私は思います。

もしヨーン・ウツソン案はコストがかかり過ぎるからと建設をやめていたら? 当初の予算内に収めようと途中で設計変更し、コストダウンのために豆腐のような真四角で味気ない形の建築になっていたとしたら?

あの風光明媚なシドニーの景色は出来てはいない。

オペラハウスはシドニーの街の核、「スター」です。野球で言えば例えばミスター長嶋や大谷翔平。実力の突き抜けたスター選手がたった一人いるだけでも、野球というものが、ずいぶんわかりやすく、楽しくなるものです。建築の抜きん出た楽しさと芸術性、それが建築の価値の源です。

そういえば建築的には素晴らしいシドニーのオペラハウスも、本来の音楽ホールオペラハウスとしての機能や性能がずば抜けて素晴らしいといった話はあまり聞かない様な気がします。オペラハウスの専門的機能や性能、一体どうなのでしょうか?

今度音楽の専門家に聞いてみよう!