column 建築エッセイ

「後世に建物を残す」ことは大切な社会貢献

建物を建てるということは、企画をする人や設計する人、検査する人、工場で加工する人、現場で実際につくる人、などなど、大勢の人が手間暇をかけ懸命に働きます。また、鉄やアルミニューム、コンクリート、木材やガラス、ゴムなどの資源もたくさん使います。大量の廃材も出てしまうので、そういったものを最後は捨てなければなりません。

工事中は騒音も出ます。トラックが行き交って渋滞を巻き起こすなど近隣に迷惑をかけたり、運搬のためにはたくさんのガソリンを使ったりもします。作業ではたくさんの電気も使うでしょう。

ひとつ、ひとつの建物は、そうやってたくさんのものを使い、犠牲を出しながら建っていくのです。

こうしたことを考えても、建物は30年や50年で解体するには忍びない。100年や200年、孫の代、その先の代まで長く使い続けることは、環境に配慮する大きな社会貢献なのだということを再確認できるのです。

ときどき地主さんなどから「お金はもう要らないので、最後に地域貢献がしたい」と言われることがあります。例えば「私の土地にはもうマンションはつくらなくていいから、代わりに老人ホームや保育園を建てて社会に貢献したい」とおっしゃるのです。

それはそれで良い考えだとは思うのですが、老人ホームをつくることや保育園をつくること以上に街に貢献できることがあります。

それは価値ある建築を街に残すことです。

きれいな建物をつくることです。

誰かが始めれば他の誰かがきっと続くはずです。建築物は、その街に対する1つのメッセージとなるのです。価値ある建築をつくることは、街がきれいに変わっていくきっかけに必ずなるでしょう。

私は経験したことがあります。

そのオーナーとは土地探しの頃からのお付き合いでした。

都心から電車で1時間10分、さらに駅からバスで20分の田舎町。古びた町屋は続きますが、緑豊かで景色の良い、朝日がきれいな場所に100坪の土地が売りに出されました。

「都心には遠いが、電車の移動時間には英会話が勉強できる。駅から歩けばわざわざジムに行かなくても健康になれるし、風が強い日や横殴り雨の日の通勤は人生にたくさん必要な忍耐を教えてくれる。この環境なら人生にも強制的に強くなれるし、強くなればもっと家族を幸せにできる。考えてみればこんな良い立地は他にない。この値段でこの広さ!」

そんなことまで言って土地選びを決心してもらったこともあります。オーナーはクリエーターという特殊な職業だったこともあったからかもしれなませんが、結局その土地に家を建てることになりました。

それから私は全力できれいな楽しい家を設計しました。土地を紹介してくれた不動産屋さんからは「売るときは大変な家だな。」と皮肉を言われ、道ゆく人には時折写真を撮られ・・・・・・。そんなちょっと変わった家になりました。

家が完成して、2、3年もした頃、街が動き始めます。その家の隣とそのまた隣に、次の「楽しい家」ができました。まさに「類は類を呼ぶ」。同じような価値観を持つ人達が集まってきたのです。

それから、もう20年近く経ったのでしょうか。かつて、のどかな田舎町だったその場所は、個性豊かな建築家たちが競ったようにつくられた家が続くまるで別荘地の様な優雅な街並みに変わりました。当然、一帯の土地の値段は高騰し、20年前の2倍以上の価値となっているところもあるようです。

街並みのできようは、最初に建った家が魅力あるものである美しい建築だと、その影響を何かしらの形で受けることになります。まずは近隣に建て変わる2件目の建築がその美しさに影響を受け、そして3件目、4件目と続いていくと次にその場所には「この街をきれいにしよう」という意思が出来上がるのです。すると街は自然にきれいになっていきます。最初に立った建物がその街のベクトルを決めるのです。

その最初の一石社会貢献で投じていただけませんか? 土地、地域の大切な有効活用のために。