column 建築エッセイ

休日のモーニングの時間をしあわせにする

                                                                                                                                                                                                                                                                                                      魔法の鉛筆がつくる至高の空間

魔法の鉛筆は「かっこいい家」とか「安らぐ家」をはるかに超える「人生をつくる家」をゴールにしています。

人生をつくるなら朝が断然いいのです。しあわせの原点は朝のエネルギーからいただくのです。昔、お父さんがいて、お母さんがいて、小さい頃の朝の慌ただしさは、今思えば幸せの思い出の風景になってはいませんか?

特に休日の朝は良いものです。感じれば、幸せ感満載です。

その中でも「夏の日の休日の朝の幸せ感」には私の原点といえるような思い出があります。

 私がまだ中学2年生の頃だったと思いますが、国語の授業で川端康成の『朝の光の中で』がとりあげられました。教科書に書かれたエッセイを、自らが感激しながら授業中の先生を前に、食い入るように読んだ思い出が昨日のことのようです。

ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

川端康成がハワイにあるカハラ・ヒルトン・ホテル(現在のザ・カハラ・ホテル&リゾート)で休暇をとっていた時の「朝の一瞬の風景」が描かれている*『朝の光の中で』には、常夏の国らしい朝の強い光が、時折風で揺れる樹々の枝の葉っぱの間から木漏れ日となり、テーブルの上に並べられたガラスのコップの中の氷がキラキラとそしてゆらゆらと煌めいている。その一瞬の至福感を鮮やかに綴ったものです。

私は授業中にもかかわらず、その至福感への憧れが芽生え、その後何十年と追いかけることになりました。

あの時、「至高の瞬間」を肌で悟った私は今、建築家となり「至高の瞬間」を建築の力で完全に実現するために奮闘中です。

「朝」のエネルギーは人々に元気を与えます。元気な人って朝からすごく元気がいいですよね。

我が家をつくるなら、せっかくですから朝のエネルギーをいっぱい受けられる家づくりをするのが良いと思います。きっとご自身やご家族の人生がより良い方向へ変わっていくことでしょう。

夜の楽しみシアタールームやワインバーをつくるのなら、それより朝のテラスを贅沢につくってはみませんか?

私の至高の原点、川端康成の「朝の光の中で」ご紹介します。

*「朝の光の中で」掲載

わたくし、カハラ・ヒルトン・ホテルに滞在して、一一月近くなりますが、朝、濱に張り出した放ち出しのテラスの食堂で、片隅の長い板の臺におきならべた、ガラスのコップの群れが朝の日光にかがやくのを、美しいと 幾度みたことでせう。ガラスのコップがこんなにきらきら光るのを、わたくしはどこでも見たことがありません。やはり日の光りが明るく、海の色があざやかであるといふ、南フランス海岸の一一イスやカンヌでも、南イタリイのソレント半島の海べでも、見たことがありません。カハラ・ヒルトン・ホテルのテラス食堂の、朝のガラスのコップの光りは、常夏の樂園といはれるハワイ、あるひはホノルルの日のかがやき、空の光り、海の色、木々のみどりの、鮮明な象徴の一つとして、生涯、わたくしの心にあるだらうと思ひます。 

コップの群れは、まあ出動態勢の整列できちんと置きならべたさまなのですが、みな伏せてありまして、つまり、底を上にしてありまして、一一重三重にかさねたものもありまして、大きいの小さいのもありまして、ガラスの肌が觸れ合ふほどのひとかたまりに揃へてあるのです。それらのコップのからだまるごとが、朝日にかがやいてゐるのでは 

ありません。底を上にして伏せた、その底の圓い縁のひとところが、きらきら白光を放ち、ダイヤモンドのやうにかがやいてゐるのです。コップの數はいくつくらゐでせうか、一一三百はあるでせうか、そのすべてが底の縁の同じところを同じゃうにかがやかせてゐるわけではありませんが、かなり多くのコップの群れが、底の縁と同じゃうなところに、かがやく星をつけてゐるのです。コップの行列が光りきらめく點の列を、 きれいにつくってゐるのです。ガラスのコップの縁の、このきらめきに目を澄ましてゐるうちに、コップの胴のひとところにも朝日の光りの宿るのが、私の目にうつって來ました。これはコップの底の縁のやうに強いかがやきではなくて、ほのかにやはらかな光りであります。光線の燦々なハワイでは、日本風にいふ「ほのか」はあてはまらないかもしれませんが、底の縁の光りが點からかがやきを放ってゐるのとはちがって、胴の光りはやはらかく面に、ガラスの肌に、ひろがってゐるのです。この二つの光りは一一つとも、いかにも淸らかに美しいのでした。ハワイの豊かに明るい太陽、爽かに澄む大氣のせゐでありませう。片隅のテエプルの上に用意した、ガラスのコップの群れに、このやうな朝日の光りを發見し、感得しましたあとで、目を休めるやうにテラス食堂をながめますと、すでに客のテエプルにおかれて、水と氷を人れてあるコップ、そのガラスの肌にも、ガラスのなかの水と氷にも、朝の光りがうつったり、さしこんだりして、さまざまに微妙な明りをゆらめかせてゐました。氣をつけなければ氣がっかないほどの、この光りもやはり淸らかに美しいのでした。

川端康成全集 第十五巻(新潮社)「美の存在と發見」より

  ※編集の都合上、「近・半・縁・強」の旧漢字は新字表記になっております。