column 建築エッセイ
CADより鉛筆 「失敗や無駄はプレゼント」
2024.07.08
失敗や無駄から生まれることはたくさんあります。
しかし、人間はわざと失敗することはできません。できることは、失敗や無駄を受け入れ、本当の自分らしさに近づけていくこと。実はそれも、人生を豊かにする秘訣なのかもしれません。
コンピューターのCADで書かれた図面は綺麗です。間違いも気付きやすく、いろんなシュミレーションができるので良いデザインができます。
しかし私はどうしても、鉛筆やペンで書いた方が良い案ができるような気がしていました。
しかしその理屈がどうしてもわからなかった。
一度、建築の大先輩に聞いたことがあります。
「先生、なぜ建築の案はCADではなく鉛筆の方がうまくいくのでしょうか?」
巨匠、高松伸は即座に答えました。
「そりゃー君、間違えるからだよ。間違えるから、いいんだ」
そうか!
考えてみればエジソンだって多くの発明や発見は、間違いから始まりました。人は自分の才能や理屈だけで傑作ができるほど賢くはありません。「偶然の力」は、間違えることによって導き出されることが多いのです。
そういえば、この本の原稿を書いている時にも失敗がありました。パソコンで書いていたのですが、原稿が進んで全体の3分の2くらいが終わった頃、操作ミスなのか、なぜかすべてのデーターが消えてしまったのです。一部は復元できたものの、長い休暇中に1週間缶詰になって、一生懸命、力の限り書いた部分のデータがどうしても復元できない。一瞬にして半分の原稿が消えてしまったのです。休暇の最終日でしたのでショックのあまり、とりあえずお風呂に入りました。
再度パソコンのメーカーに食い下がっても「普通の状況では起こらない現象とのこと」しかし、だが、起きてしまったのです。何度やってもどうしようもないことがとうとうわかってしまいました。
私は決心しました。
「よし、これから私はあと、1時間だけ思いっきりクヨクヨしよう」と。
そのあとは気持ちを切り替えて、心の修行にしようとも考えました。そして、その後1時間思いつく限りのクヨクヨをして、メーカーにも再、再度もう一度電話をして、今度は文句を言って気持ちの吐口にした。(ごめんなさい電話に出られた担当の方・・・・)
もちろん、1時間程度で私の心が回復することはありませんでしたが、無理矢理気持ちを切り替える事にしました。
「もういい!」と。
そして私は、パソコンを1台だけ持って静かなカフェに入りました。
ちょうどお昼だったので軽く食事をして、その後やる気のないまま無理やり私のノートパソコンを開けたのです。「決めたことだから」と。
「あー、ここは何を書いたんだっけなー。結構いいこと書いていたんだけどなー」
また後悔が湧いてくるのを抑えつつ、とにかく先に進みました。
すると1時間もたつと、いい言葉がいくつも出てくるようになり、気分にノリも出てきました。データがなくなる前とはまったく違うアプローチの説明の仕方を思いつくことも多々もでてきました。そうこうしているうちに7時間ほど経過。そのまま夕飯も昼と同じものを食べて、さらに続けていると閉店時間。
「データが消えたことで、良くなったところがたくさんあったなぁ」
帰り道にそう考えました。
「これはきっと神様か仏様が消してくれたものかもしれない。」と思えてきました。そうでなければ自分でわざわざ考え直して書き直したりはしません。もしかしたら、書いてはいけないことが書いてあったのかもしれません。
考えてみれば、これまでの人生で起きた数々の失敗も、その時は本当に苦しかったのですが、過ぎて仕舞えば結局、「あれはあれで起こって良かったことなのだ」と思えます。人生のどん底から這い上がった者だけが身につく力もある。教えられたこともあります。
失敗や無駄は後戻りのツールでは決してありません。失敗や無駄は神様や仏様からのプレゼントだと、私は本当に思うのです。 結局、間違うので、C A Dより鉛筆がいい。という話でした。