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バリヤフリーについて

私の家も、うちの母が住む実家もバリヤフリーにはしていません。私たちがまだ元気だからです。元気なうちは空間を楽しみたいと思ったからです。近くを散歩する際には足元にも気をつけながら景色を堪能します。外に出れば障害だらけなのが現状です。家の中だけを今からバリアフリーにする事に抵抗もあります。バリヤフリーにも一長一短があり万能なわけではありません。釈迦は能力の開発法として歩くことにも集中して歩きなさいと言われたそうです。バリヤフリーはそうした日ごろから歩くことの気づきへのキッカケがますますなくなってしまいそうな気もするのです。

以前私の祖母がまだ何とか元気だったころ、病院にお見舞いに行った時、「一日一度は病院の階段を上り下りするんだ」と言って頑張っていました。その後何かの原因で歩くのをやめた時からほとんどが寝たきりとなってしまいどんどん体が弱くなっていったのを覚えています。やはり歩くと言う事は人間にとって大切な事なんだなと思い、元気なうちはなんとか頑張る。その頑張ること事で始まる何かがあると思えてならないのです。わざと高さの高低差をつけようと言うのではありません。なくすべき段差は徹底的になくすことも大切です。ただ必要な区切りとして、空間の変化を楽しむところとして思い切った空間がが心地よい場合がたくさんあります。バリヤフリーにこだわらないほうが良い場面も多いのです。逆に本当にバリヤフリーが必要なたとえば車いすを常用されている方の住宅などはもっともっといろんな事を工夫するべきです。バリヤフリーというと無機質なのです。なんとなく。車いすだから快適な住まい方。きっとあります。いづれにしてもバリヤフリーを安易に考え、段差だけをなくした空間で満足してはいけないと思うのです。

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